前書き

当事者研究とは、とても説明が難しい活動です。

当事者研究について解説している文章は世の中にたくさんあります。しかしながら、どれを読んでも、「なんだか良く分からん」「既存のものと何が違うの?」と不思議に思うことでしょう。当事者研究は、外から見ていると、実は既存の自助グループがやっていることと大して違いがありません。みんなでおしゃべりしているだけだったりします。私も、身近な人に当会の活動を説明する時は、『「10代しゃべり場」や「踊るさんま御殿」みたいな感じ』と説明しています。


当事者研究の説明がなぜ難しいかというと、当事者研究の特徴が、人間や症状の捉え方にあるからだと私は思っています。(症状という言葉を、あまり当事者研究は使いませんが・・・。)当事者研究とは、ある特定の活動の名前というより、「症状との向き合い方」を表す用語なのです。「症状との向き合い方」さえ合っていれば、実際の活動の仕方はいくらでもバラエティがあるので、誰もはっきりとしたやり方を決められないのです。


ここでは、<べとりん>の「症状の捉え方」を紹介したいと思います。

ここで紹介するものはあくまで一例ですが、このような視点で問題を捉えてみることで、より面白い一面が見つけられるのではないかと思います。


当事者研究の障害観

執筆者:<べとりん>

私が普段使っている分析の視点を、なんとか言語化してみました。

あんまりきちんと理解しているわけではありませんが、現象学、ハイデガーの実存哲学、システム論などの考え方が背景にあります。


1.私たちは世界から「問い」を出され、「解決策」を提示することを迫られる。

・人間は世界に「投げ込まれ」、「世界に対処することを余儀なくされる」

・生物とは、「情報と物質を外界と交換し続ける(=常に回り続けている)システム」

・私たちが生きる上で、向き合うことを余儀なくされる「問い」がある。

例:「いかに実存するか?」「自己肯定感をどこから得るか?」「いかに安全を確保するか?」「食料をどうやって得るか?」

(最も根本的な問いは「実存」と「生存」であり、この問いに対する解答として「自己肯定感」「コミュニケーション」や「安全」「食料」などが提示され、また次の問いへと階層が下がっていく。)

・私たちは少なくとも現在「生きている」のだから、少なくともそれらの問いにたいしてなんらかの「解決策」を出し続けてきた(今も出している)ハズである。

(「問いを回避する」という解決策ももちろんあるが、その場合は「どうやってその問いを回避したのか」という意味で解決策を提示しているハズである。)

 

2.「症状」とは、「解決策」である。

・「症状」とは、安定してずっと反復される行動なのだから、一つの安定な「システム」を構築している(何らかの循環のなかに位置づけられている)ハズ

・精神疾患などの、本人の行動選択における「症状」とは、反復される何らかの「問い」に対する「解決策」として提示されているハズである

 →例:実存に対するリストカット 寂しさに対する妄想 危険からの回避としての暴行

・私たちは、「手札」とでも呼ぶべき、普段から無意識に使える「得意の解決策パターン」を複数個持っている。

・しかし、使える解決策は、場の状況や、他人からの目線(まなざし)などによって制限される。

・普段使っている「良い解決策」がなんらかの理由で使えなくされたとき、私たちは「質の悪い解決策」に頼らざるを得なくなる。

・私たちは、解決策の数が少ないがゆえに「症状」を選ぶことになる。使える「解決策」の数が増えれば、「症状」を使う必要はなくなる。

・「不安」「焦り」は、解決策が足りない時の目印になる。手札の解決策が全て潰された時、私たちはハイデガーの言う「不安」に陥る。

・「絶望」も、解決策が足りない時の目印になる。たどり着きたい目標に至るまでの道筋が全て潰された時、ハイデガーの言う「絶望」に陥る。

 

3.お互いの症状や経験(=解決策)を語り合うことで、その裏にある共通の「問い」を探すことができる。

・私たちの個性は、多くは「解決策」の選択の違いとして起きている。

・認知や身体の違いは、「世界の現れ方の違い」として現れ、「解決策の選択の仕方」に大きく影響を与える。

・仲間同士で話し合い、自分達の「解決策」を紹介し合うことで、それらの「解決策」の裏にある「問い」を見つけることができる。

・当事者研究とは、それぞれの症状(=何らかの解決策)から、その裏にある「問い」を発見する作業のことである。

・また同時に、自分が直面している「問い」に対して他の仲間がどのような「解決策」を使っているのかを知り、新たな「解決策」の「仕入れ」を行う場でもある。

・研究仲間は、同じ「問い」を持っている仲間であることが望ましく、そのために「問い」が同じレベルの階層に達していることが望ましい。

例:「慢性的な痛みにどう対処するか」というような「問い」は、痛みの経験を共有する仲間同士でしか共有しにくい。


4.障害とは、選べる「解決策」の選択枝が少ない状態のことである。

・環境、身体、認知構造、性格などの条件によって絞り込まれた結果、選択できる「解決策」が少なく、質の悪い選択肢しか選べないと感じる状態のことを「障害がある」と表現する。

参考:熊谷晋一郎「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho56_interview.htm

 

おまけ:5.「構成的体制」

・<べとりん>にとっての「空間」、<すし>にとっての「ハードル」など、私達は、その場の目的に合わせ、自分の行動を測るための価値基準を持っており、それによって自分の行動が「まなざされている」ことによって、今の行動が望ましい(正しい)か、望ましくない(正しくない)か、常に評価・修正することができ、望む方向に進んでいることに確信を持つことができる。当事者研究に関する書籍の綾屋紗月・熊谷晋一郎「つながりの作法ー同じでもなく 違うでもなく」の中では、これを「構成的体制」と呼んでいる。「構成的体制」とは、「実存」の下層にある「問い」の一種である。「自明性」と呼ばれることもある。

・「構成的体制」からの「まなざし」に適合するような一連の行動で、かつ自分の行動パターンとして確立しているものが「手札」となる解決策である。

・「構成的体制」からの「まなざし」に適合する行動を取れている限り、私達は安心を感じる。しかし、使える「構成的体制」がない状況下に放り出された場合、もしくは「構成的体制」に適合する解決策が全て潰された時、私達は自分の行動を測る基準を失い、不安を感じる。

・当事者研究では、自分と似た身体や認知構造を持つ仲間と語り合うことで、自分達の認知・身体特性に合った新しい「構成的体制」を作ることができる。

 

当事者研究が向いているもの、向いていないもの

・基本的には、「実存」に近い階層の「問い」に対する解決策であるほど、当会の当事者研究には向いている。

 実存に近い階層の問いであるほど、他の人と共有しやすい問題だからである。

・長く持続している症状であるほど、当事者研究には向いている。逆に、急性の症状は当事者研究に向かない。

・親の問題や家族の問題、パーソナリティ、依存、嗜癖、コミュニケーション、不安に関わる問題は特に当事者研究向きである。

・身体症状は当事者研究には向きにくいが、他の人との「身体の違い」による日常の不安や行動の決まらなさは当事者研究に向いている。