自己開示の調節モデル

研究者:4/10研究会

執筆者:<べとりん>

 

概要

私達は他人と話す時、どこまで自分の情報を明かすかを無意識の上に調整している。この自己開示の具合が、いわゆる「オタク的コミュニケーション」と「リア充的コミュニケーション」で全く異なるのではないか、という指摘があった。この現象について、極限の2極を定義し、シンプルな定式化を図る。

 

詳細


基本の考え方

・私たちは、「ある程度自分を受け止めてくれる人」と関係を築こうとする傾向がある。

・「自分の全てを自己開示できる」という場合を1、「自分のことは何一つ明かせない」という場合を0と表現する。

・「オタクのコミュニケーションは01しかない」、「リア充のコミュニケーションは常に0.5しかない」という定式化を行う。

 

「オタクのコミュニケーション」

・基本的には、自分の中にある趣味やらこだわりを理解してくれる人としか関わりたくない。

・つまり、「ほぼ100%の自分を受け止めてくれる人」とのみ関係を築こうとする傾向があるのではないか。

・基本的に、他人に迎合したり、気を遣うための嘘を吐いたりするコミュニケーションは良くないことだと考えている。

・自己開示の際は、「これは明かすべきではない」「これは明かしてもよい」という調節を使うことが面倒くさい。

・そのため、「相手と全く関わらないor表面上だけの当たり障りのない会話をする=0」のコミュニケーションと、「自分の話したいことをいくらでも話す=1」のコミュニケーションだけが特化する。

 

リア充のコミュニケーション

・基本的には、他人に嫌われるのは良くない事であり、誰とでも仲良くしなければならないと考えている。

・つまり、「相手に嫌われない程度に自己開示すること」が必要である。

・基本的に、会話の場における全ての発言は受け止めて肯定してあげるべきだし、気を遣うための嘘を使うことは必要だと考えている。もし、受け止めきれないレベルの発言が飛び出した場合、その人との関係を切り捨てる。

・自己開示の際は、「これは明かすべきではない」「これは明かしてもよい」という調節を常に使い続ける。

・そのため、「自分の中の良い印象を与える面だけを自己開示する=0.5」のコミュニケーションだけが特化する。

  

「オタクのコミュニケーション」の問題:自己開示が難しい環境では会話が難しくなる

オタクのコミュニケーションのスタイルを持つ人が、かなり自己開示の難しい要素を自分の中に持ってしまった場合、「ほぼ100%の自分を受け止めてくれる人」がほとんど存在しない(と感じてしまう)ため、「1のコミュニケーション」がほとんど不可能になってしまう。この場合、使えるコミュニケーション形式がほとんど無くなってしまい、人と話すこと自体が難しい、と感じてしまう事態が起こる。

 

「リア充のコミュニケーション」の問題:「本当の自分」を誰にも理解してもらえない

リア充のコミュニケーションのスタイルを持つ人の場合、友達はとても多いのに、「誰も本当の私を理解してくれない」「私はぼっちだ」と悩む、という現象が起こる。なぜならば、「自分の中の良い印象を与える面だけを自己開示する=0.5」で自己開示できない「残りの0.5」を誰にも話すことができないからである。

また、「残りの0.5の部分」を誰かに伝えて理解してもらいたいのに、他人に理解を求めるためのコミュニケーション方式を全く身に付けてきていない場合もあり、この時は「私はコミュ障だ」などと悩むことが起こる。

「自分が理解されていない」という苦しみがあるため、誰かに自分を肯定してもらいたいと思い、さらに「自分の中の良い印象を与える面だけの自己開示」によって他人から肯定を得るコミュニケーション方式が上手くなる、という悪循環が起こることもある。


サークルクラッシュ

・「オタクのコミュニケーション」を行う男が、「リア充のコミュニケーション」を行う女と会話した時、女は常に0.5で対応しているのに、男はそれを1の状態であると勘違いし、女は男が1で対応しているのに、0.5の状態であると勘違いする、という現象が起こる。これの状態を「サークルクラッシュ状態」と呼んでみる。

 また、ここでは、男側を「クラッシャられ」、女側を「クラッシャー」と呼称する。

 

・「クラッシャられ」の勘違い

クラッシャー側からすれば、男の話す内容をちゃんと聞き、受け止めてあげることは、単なるマナーに過ぎない。これはクラッシャーにとっては「自分の中の良い印象を与える面だけを自己開示する=0.5」の状態である。

しかし、「クラッシャられ」からすれば、コミュニケーションとは常に本心をそのまま会話するものであり、相手に対して気を遣ったり、とりあえず相手を傷つけないために相手の話す内容をすべて肯定したり、という行動は考えにくいものである。そのため、相手が気遣いで優しくしてくれたのを、「1の状態」(相手の本心)だと勘違いする。

 

・「クラッシャー」の勘違い

クラッシャー側は、クラッシャられの取る好意的な行動を、「マナーとしての行動」だと勘違いすることが起こる。なぜならば、クラッシャーからすれば、誰に対しても相手に好かれるような行動を取るのは当たり前のことだからである。こうして、相手の「1の行動」を、「0.5の行動」と過小評価する、という現象が起こる。